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ブリジット・ジョーンズの日記

久しぶりにレンタルヴィデオショップに行ったら、色々見たい映画があって、わくわくしました。本当は映画館で見たいけれど、なかなか時間が取れませんから。とりあえず、気分で借りたのが、これと、「レイ」。「レイ」は夫が見たがっていたので。

ブリジット・・は、娘と二人で見たんですが、30分ほどで、「こんな3文映画付き合いきれない!」と、リタイア。これは2作目で、最初のは面白かったんですが、これはさすがにちょっと、いまいちでした。でも、主演の、レニー・ゼルウィガー(これでよかったかな?)は、すごい。何がって、太っているんです。太めでなければならない時は、太り、「シカゴ」の時は、あのスタイル、そしてこの映画では又、10キロは太っているでしょうね。女優のプロ根性と言うか、感心しました。そして、太めでも可愛かった。

私は、実はヒュー・グラント、好きなんです。あの軽薄なプレーボーイぶり、はまりやくですねぇ。最初は、随分前、「モーリス」と言う、ホモの映画で見て、気になっていたのですが、「アバウト・ア・ボーイ」は良かった。笑えたし。でも、「ノッティングヒルの恋人」は好きじゃない.真面目な役なんて似合わないと思います。やっぱり、憎めない、プレーボーイがいいな。だいだい、真面目すぎる人って、魅力を感じない。・・失礼しました。ともかく、彼がいて、この映画は面白くなっているといいたいです。

夫が帰ってきてから、「レイ」を見たんですが、レイの音楽に魅了されつつ、浮気男振りに、付き合いきれず、途中で眠ってしまいました。あとで、息子に、どうだった?と聞いたら、「まあまあ」だったらしいです。

今日はあまりお薦めでない映画2本でごめんなさい。私的にはと言うことですが。

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年賀状

一年経つのが本当に速いです。もうすぐ12月。そろそろ年賀状の準備をしなくては、と気になってきました。いつ頃からか、この時期になると、黒い縁取りのはがきが舞い込み、年末を意識するようになりました。親を初めとして、親しい親族を亡くす歳になったんですね。私も7年前に父を亡くし、喪中の葉書を出しました。当然、その年は年賀状が来なくて何だか淋しいお正月でした。そんな時、寒中見舞いの葉書をいただき、心遣いが嬉しかったので、私もそれから、なるべくお正月が明けてから、何気ない葉書を出すように心がけるようになりました。

今、年賀状を出す人が減っているようですね。家の子供達も(もう成人ですが)ほとんど出していないようです。来るのも少ないし。もうメールでって言うことらしいです。私も、面倒だなとは思うのですが、頂いたときの嬉しい気持ちを返り見て、毎年出しています。

夫は仕事関係があるので、結構多いのですが、私は、親族、友達、お世話になった方などですから、たいした数ではありません。それも最近では、減ることはあってもあまり増えませんね。何となくどちらからともなく書かなくなったり。出さないと頂いて、次の年は出すとこなかったり・・年賀状のやり取りだけで、何年もあっていない方も半数近くあるかも。それでも、ああ、お子さんも大きくなったんだな、とか、存在を身近に感じられるのは、年賀状のおかげですね。昔、PTAで一緒に役員をやった方とか、前に住んでいたマンションの方とか。

家族の写真を毎年送ってくださる方もありますね。あらあらと、興味しんしんで見ちゃいますね。綺麗な奥さんね、とか、この子はお母さんにそっくり、とか。でも、私はちょっと、出せませんね。恥ずかしいもの。頂くのは歓迎しますが。

一生懸命版画を彫っていた時期もありましたが、いまはパソコンにお任せです。宛名書きをしなくていいのは助かります。手書きが最高ですが、悪筆なので、気が楽です。でも、一言は書き添えるようにしています。印刷だけでは貰っても味気ないですから。図柄も、年賀状ソフトの中から適当に選んでいたのですが、去年は息子が凝った絵を作ってくれました。今年もやってくれそうなので、期待しています。出すのはきっとぎりぎりになると思いますが。

ブログに遊びに来てくださる方たちにも、本当は出せるといいのに!

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「漢方小説」

中島たい子著「漢方小説」を読みました。

主人公は31歳の独身女性。昔の彼が結婚すると聞いてから、原因不明の震えと胃の不調に襲われます。病院巡りをしても、異常なしといわれ続け、少女の頃診察を受けたことのある、漢方医院で診察を受け、快方に向かうのですが、その間に彼女の周りでは、色々なことが起こります。彼女のほのかな漢方医に寄せる好意や、自分を見つめていく過程が軽やかに書かれています。

このくらいの女性の心の揺れが、深刻すぎずに書かれていて、分るような気がしました。題名通り、漢方のことについても色々書かれていて、興味深かった。若い頃は西洋医学にしか興味と言うか信頼を持てなかったのですが、最近は東洋の医学、漢方やアーユルヴェーダー、それに気功なんかにも惹かれるようになりましたね。

もう10年以上前ですが、しつこい頭痛に見舞われて、頚椎に軽い異常がある事が分り、整形で治療を受けていたのですが、はかばかしくなくて、気功の教室に行っていた時に、先生に首を調整してもらい、それから痛みがとれたことがありました。まぁ、気のせいかも知れませんが。東洋医学に頼るのは、西洋医学でよくならなくて、たどり着くといった感じが多いのかも知れない。よくは知らないのですが、西洋医学は病気を診、漢方は人を診ると聞きますね。同じ病気でも、体質によって治療が違うというのは説得力がある気がします。

この本にはもうちょっと突っ込んだ漢方の基本的な考え方も少し書いてあって、興味深かったです。占いとか、目に見えないものは信じないほうなのですが、かといって、目に見えるものがすべてだとも思えません。矛盾しますが。「気」とか、経絡なんかはあると思います。現に経絡リンパマッサージをやっていて、良い気がしますから。これって、西洋と東洋の融合みたいなものなのかな。何か本のことより、漢方に付いてになってしまいました。

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先生の手紙

   「旧3年D組」の皆さんへ                   2005・8・14

同級会にお招きいただき有り難うございます。

小学校3・4年の時の「同級会」といっても、世間では、理解しがたい「変な同級会」ではないかと思いますが、そのメンバーに入れてもらえて光栄です。今、思い返せば私には、懐かしさの反面、若さ故の恥ずかしさをおぼえる2年間でした。

あれから45年の年月が流れました。今回参加されなかった方も含め41名の皆さん、それぞれお元気でお過ごしのことと 心より願っています。

お陰様で 私も健康に恵まれ、この秋 古希を迎えます。

9年前、○○中学校勤務を最後に定年退職いたしました。そのとき37年間の教員生活の思い出多い写真、文集、記録など多数残っておりましたが、退職を機にそのほとんどを整理処分してしまいました。でも 最後まで処分できなかったのが3年D組のアルバム等でした。私も70歳、すでにボケが始まっています。この際、皆さんの作文と写真を全部お返ししたいと思います。

作文は、昭和36年3月末、つまり4年生の学年末、大掃除の日、短い時間で慌しく書いた作文です。やや中途半端な気持ちを残しながら、赤ペンを入れることもなく茶封筒にいれたまま ほこりにまみれて45年間眠っていた作文です。

写真は、画用紙にのりづけしたアルバムから一枚一枚はがし取ったために、汚れたり傷ついたりしています。パソコンでスキャンしたものもあります。押入れの暗室で素人現像したものが多く、写りがあまりよくありません。かえって失礼な写真もあるかもしれません。

あの時代と比べ、○○も少子高齢化、過疎化がすすみ、現○○小学校の全校生徒数190名に その現実を知る事ができます。あの頃は1050名でした。

学校だけでなく 世の中すっかり様変わりし、「団塊の世代」といわれる皆さんは、いま熟年55歳、家庭でも地域、仕事、職場においても難しい課題と大きな責任をかかえていることと思います。過ぎ去った子供のころを懐かしがってばかりいるわけには行きません。

どうか、ご家族と健康を何よりも大切にしながら、これからの不透明な時代を前向きに向かえ、実のある人生をお過ごしください。ご多幸を祈ります!

                                                   署名

以前にも書いたのですが、私は小学校4年の時、父の郷里の小さな漁師町で、3ヶ月を過ごしました。半年はいたように思っていたのですが、返してもらった作文を読むとたった3ヶ月でした。最近そのときの友達から連絡を貰い、同級会をやっていて、あなたの事を皆懐かしがっているよ、といってくれました。3日ほど前、彼女から、地元で取れた干物と一緒に、先生から預かったという、この手紙と、作文、写真がとどきました。

scan これはその写真です。真ん中に立っているのが私のようです。教室の窓から取ったのでしょうか、皆見上げていて、影が長くて面白いな、と思いました。今になってこんな写真を見られるとは思いませんでした。よく取っておいて下さったものだと感謝です。あの頃の、不安やわくわくがよみがえります。

それにしても、先生の仰る通り、4年生の同級会と言うのはめずらしいですね。当時もうっすらは感じていましたが、とても人気のある先生でした。一度友達に連れられて、先生のお宅に行ったことがありますが、小さなお店の奥に先生がいらっしゃたのを覚えています。多分、そこがご実家だったのでしょうか。それに、先生は計算してみると、当時25歳!何て若い先生だったのでしょう。先生は都会から来た転校生の私を特別扱いすることなく、普通に接してくださいました。転校生って人気者になりますから、それで私は天狗にならずに済んだような気がします。

今頃になって、先生のお手紙に接し、短い間ではありましたが、良い先生にめぐり合ったのだな、と気がついたりしています。誠実な人柄がにじみ出ていると感じます。勝手にブログにしてしまいましたが、お詫びも兼ねて、是非お手紙を出そうと思っています。

次の同級会は5年後だそうです。すごく遠いけれど、いけるといいな。友達も一度会いたいねって言ってくれましたから。きっと、誰も分らないと思うけれど。

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卒寿のお祝い

PICT0007_5 お天気にも恵まれて、今日は母の卒寿のお祝いでした。母は7人兄妹の末っ子の一人娘で、七福神と言われたらしいのですが、もう兄たちは亡くなり、残った叔母二人も外出はままならないので、甥や姪、その伴侶、子供、孫たちが集まりました。なんと、総勢34名も。もう、何年、何十年も会っていない人が多くて、中にはあまりお付き合いが無くて、初対面の方まで来てくださり、母も感無量のようでした。そんなことで、それぞれお祝いの言葉と、自己紹介をしたのですが、それだけで1時間かかりました。知らなかったエピソードなども出て、皆さんが母の人柄などを披露してくださり、母も嬉しかったと思います。

私は末っ子である母の末娘なので、いとこの中では最年少です。でももう一人同じ歳のいとこがいて、彼女とは偶然大学で同じ学科、同じクラスでした。彼女は独身でバリバリ働いているのですが、昔とちっとも変わらず、懐かしくて、話に花が咲きました。

上のケーキはなんとロウソクが90本立っています。いとこの娘でお料理の上手な子が焼いてきてくれたのです。それを母が吹き消したのですが、息子がアシストするために控えていたのですが、「おばあちゃん、一人で消せたよ。」といっていました。それにしてもこんなにロウソクの多いケーキは初めて見ましたね。

皆で歓談したあと、プレゼントも頂き、記念写真も撮って、散会となりました。親族が集まる機会は結婚式やお葬式ですが、全員集まるわけではなく、また、ゆっくり話すこともあまりありません。お祝いと言うことで、こんな集まりが出来て、本当に良かったと思いました。もちろん母が一番喜んでいたでしょう。それにしても、いとこと会うと、相手が60台であっても、つい、○○ちゃん、と呼んでしまうのは可笑しかったです。

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東京奇譚集と冒険の国

昨日今日と、めずらしく家にいたので、家の中のこともそこそこに、本を読んでしまいました。村上春樹と桐野夏生、今一番好きな作家の本を買ってあったのですが、読みかけの本が沢山あるので、取っておいたのですが、つい読んでしまいました。買ったものの、いまいちと言う本はなかなか進まず、ページを見て、まだこんなに残っている、何て思うけれど、好きなものは、あぁ、もう少ししかない、って思うものですね。

「東京奇譚集」は村上春樹の短編集です。その名の通り少し不思議な物語ばかり。といっても、彼の小説はたいていファンタスティックなところがありますね。それでいて細部はリアルで、共感できる部分が沢山あります。登場人物もさめているけれど、胸の奥に熱い心があるような感じがする。「偶然の旅人」はゲイの男性がある人妻と偶然出会って、そのことによって、仲たがいしていた姉とのわだかまりがとける。「ハナレイ・ベイ」はサーファーの息子を鮫にうばわれた、ピアニストの母親の物語。あと3編も村上ワールドで、とても面白かったです。

「冒険の国」は桐野夏生の幻の処女作と帯に書いてありました。すばる文学賞の最終選考に残ったのですが、該当作なしとなり、出版されていなかった作品です。ディズニーランドが見える埋立地で暮す30台に差し掛かった女性とその家族の取り残されたような生活が描かれます。作者が言っているように、処女作とあって、少し骨組みがゆるく、突っ込みも浅い感じはしましたが、『取り残される』と言う不安や苛立ちは伝わってきました。

話はそれますが、『取り残される』と言うのは今でも大きなテーマだと思います。今、子供たちの考えられないような犯罪が多発しています。今多くの親たちは、競争に勝ち、偏差値の高い学校に入り、大会社に入るという、モデルを示して、子供たちを追い立てているように思われます。こんな単一のパターンでは、当然多くの子が落ちこぼれ、取り残されます。本当は多種多様な価値があってしかるべきなのに。一つの道しか示されなければ、そこからはずれた時にどんなにか不安になるか、想像できます。このような社会の状況と、子供たちの変化は無縁ではないような気がするのですが。

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母の絵葉書

今日は体調が悪く、本当は休んでいたかったのですが、母の所へ行って来ました。いつも心待ちにしているし、頼まれた買い物もしたので、渡さなければならなかったので。今度の日曜日、母の卒寿のお祝いがあるのですが、その時にスーツの下に着るブラウスと、プロポリスの錠剤です。

いつもは何か持って行って、簡単なお昼を作るのですが、具合が悪かったので、おそばを取ってもらいました。少しいて帰ろうと思っていたのですが、用事が出来てしまいました。母は絵を描くのが趣味なのですが、お祝いの時の記念品として、書き溜めた絵の中から、10枚ほどを絵葉書にして配る事にしました。15年ほど前にも、絵をまとめて本にした事があるのですが、その時印刷や製本をやってくれた方が、出来た絵葉書を持って最後の打ち合わせに来るというので、待っていたのです。

その方は、当時母が自分で色々調べて見つけたのですが、パソコンでホームページやパンフレットをを作るのが主な仕事だったようですが、絵も好きで、こういう小さな仕事も親切にやってくれたのです。久しぶりに連絡すると、電話がなかなか通じなかったらしいのですが、どうも会社をたたんで、今は一人でやっているようでした。少し体が不自由なようなので、「よくがんばっているわねぇ」と、母は感心していたのですが、不景気でうまく行かなかったのでしょうか。自分で小さな仕事で生きていくのは大変な事です。

3時ごろに彼がやっと来てくれて、絵葉書やそれを入れる封筒のサンプルなどを見て打ち合わせをしました。彼が、絵の脇に簡単な言葉を入れたらいい、と以前アドバイスしてくれたので、母がそれぞれの絵にあった俳句(正式なものではなく)を作って入れてあり、画面が締まって、なかなか良い感じに出来ていました。

彼が帰ってから、以前の画集も改めて見てみたのですが、そこに入っている文章を見ると、普段私が持っているイメージとは少し違う母がいます。家の子供たちも私のブログを見て、「お母さんが書いたと思えない。変な感じ。」などといっていましたが、子供にとっての母親は、一人の人間である以前に、あくまでも母親、なんでしょうね。だから、母親としてでない面を見ると、不思議な感じを持つんだと思います。

日曜日は多分、母の最後の晴れ舞台だと思います。お天気になるといいんですけど。

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ブログって

先日の新聞にこんな相談が載っていました。

アルバイトで知り合った人がブログを始めて、読んで感想を書き込んでと、しつこく言ってくる。読んでみても、一日の出来事を書き連ねてあるだけで、何の感想もないし、読みたくも無いので、困っている。

ありそうな事ですね。この人も困るだろうなって思います。少し笑えるけれど、自分のことに照らしてみると、私も日々あった事と思ったことがほとんどです。まぁ、誰にも、読んでって強要はしていないけれど。何人かの友達に「ブログやっているんだ」と言ったことはありますが、「ブログって何?」とか「へぇ、今流行っているらしいね」と言う反応だったので、読んでね、とは言いませんでした。それに、恥ずかしいし。

どうしてやっているのかと考えてみると、やっぱり読んで欲しいんですね。そして、「そういう事あるよね。分るな。」とか「え、そういう事もあるんだ。」とか感じてもらいたいんですね。自己顕示欲なのかなぁ。

そういえば、母親を毒殺しようとした少女が、その経過をブログに書いていたと、報道されていますね。ちょっと、この事件自体理解しがたいですが、ブログに書くとは。やっぱり自己顕示欲なんでしょうね。今までにも、犯人が手紙などを送りつけたり、携帯の画像を見せびらかしたり、と言うことがありました。今度の事件ではそれがブログだったってことでしょうか。犯罪者が、捕まる危険を冒してまで、こういうことをするなんて、人間の自己顕示欲と言うのはすごいものがあります。それとも、異常性格者だからなのでしょうか。

話が飛躍しました。犯罪者は自分の行為を見せ付けたいだけだけれど、私を含めて一般のブロガーは読んだ人の反応を・・共感とか・・求めているんじゃないかと思います。

それはともかく、この頃少し迷っています。楽しくて毎日色々書いてきたけれど、これでいいのかなぁって。色々なブログを拝見すると、素晴らしいブログが沢山ありますね。よく勉強されていて、情報も沢山持っていて、それから特殊な体験をされている方とか。何かいじけてしまって。でも、自分は自分でしかないし、背伸びしてもしょうがないって言うか無理。見に来てくださる方もあることだし、あんまり躍起にならずに、もうちょっと続けてみようかな、などと考えています。

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プーシキン美術館展

PICT0001_11 楽しみにしていた「プーシキン美術館展」に行って来ました。マチスも好きな画家の一人なのですが、ポスターになっているマチスの「金魚」は、大好きで、前からレプリカを居間の壁に飾ってあります。40年ぶりに日本にやってくるらしい、この絵を是非見たいと意気込んで出かけました。

PICT0005_2 上野公園はすごい人出で、動物園やら美術館やら、それぞれのお目当てに向かって人の流れが出来ていました。会場の都美術館の中庭では前回行ったときの様に、パフォーマンスが行われていました。テーマは「ギリシャ彫刻の競技者」だったようです。

一歩はいって、しまったと思いました。それほどの混雑ぶり。やっとチケットを買ってからも、入場に10分待ち、会場は黒山の人だかりです。これではゆっくり見られない!展覧会が始まったばかりの休日に行くなんて、考えが足りなかった。これからは注意しなくてはいけませんね。それでも来てしまったからには、と忍耐強く、頑張って観ました。

ルノアール、モネ、ピサロ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン,マチス,ピカソ,など巨匠の作品がずらりと並んでいました。やっぱり皆いいですね。中でも、大好きなゴッホの「刑務所の庭」と言う絵ははじめて見ましたが、人物の訴えかける表情に足が釘付けになりました。そういう人が多かったのか、この絵があったアルコーブの部分は人で埋まっていました。

お目当ての「金魚」は、思ったより大きな絵で、とても美しかった。マチスの絵って、飾りたくなる絵が多いです。明るくて、美しい・・

あまりの混雑にじっくりは見られませんでしたね。会場の外に出て、夫と、息子が出てくるのを待っていたのですが、結局閉館時間まで出てきませんでした。終わりごろは人がいなくなって、ゆっくり観られたらしいです。こんなに混むのですから、5時と言わず、もっと遅くまで、開館して欲しいですね。やっぱり、お役所仕事?美術館も民営化して欲しいです。

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保育園では

先日一緒に旅行した友達が、保育園でアルバイトをしています。色々話をしたのですが、彼女は非常に憂いていました。

要するにこの頃の親はひどすぎる・・・自分が楽をしたい為になるべく長く子供を預けようとする。休みの日でもサンダル履きで子供を預けに来る。着替えもきちんと用意せずに、保育園で貸すと返さない。食事もろくに作っていないのがうかがわれる。当然子供は愛情不足で、保母にまとわりつき、でも言うことは聞かない。

こんな話でした。「それって、子供を愛せないって事じゃないの?」と言うと「そうなのよ。だから、この子達が大人になったらどうなるのか、恐ろしいわ」

う~ん。どうなんでしょうか。私も娘は幼稚園、息子はその時働いていたので、保育園に預けていました。16年ほど前ですが、お母さんたちは大体子供を充分可愛がっていたように感じていましたが。中には幼稚園なんて面倒で、って言うお母さんもいましたが。

でも、社会はどんどん変わっていますよね。今は気軽に外食も出来るし、困った時には何でも24時間売っています。私が子供の頃には外食なんてほとんどしませんでした。母が偉いというより、そんな世の中では無かった様に思います。それでも、母から見れば、本当に私はお気楽主婦です。(まぁ、ブログを読んだ息子に、お母さん遊んでばっかりいるじゃない、といわれていますが。)

だから、偉そうにいえば、今のお母さんに、私たちと同じでないからといって、あまり非難も出来ない気もする。家事については。でも、私はなるべく子供と一緒に居たかったから、休みの日には子供も休ませて、一杯遊びました。ただでさえ、働いていると一緒にいる時間が短いのですから。でも、今書いていて気づいたけれど、昔の母親はそれほど子供にかまわなかったですね。母が家に来た時、「あなたの子供は幸せね。そんなに遊んでもらって。私は暇も無かったし、そんな事考えもしなかったわ」といっていた事を思い出します。

どうなんでしょうか。何だか分らなくなってきました。いつの時代も「今の若い人は・・」って言われるものですしね。でも、子供を愛してあげて欲しい。家事は手抜きでも、愛情さえあれば、子供はちゃんと育つと思うのですが。

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