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ラディカルに「平和」を問う

私にしては、ちょっと堅めの本を読みました。息子が今時にはめずらしく、平和問題に関心があって、よく話すのですが、知識のなさを痛感していたのです。それで、たまたま図書館に行った時、この本を見かけてタイトルにひかれて借りてみました。

ラディカルに平和を問う・・著者は小田実、加藤周一、ダグラス・スミス、土井たか子、木戸衛一、の方々です。こういう本を読みなれない私でも、とても分りやすく、今までぼんやりと感覚的にしかいえなかったことの、根拠を与えてくれた感じがしました。

少しだけ、内容をご紹介したいと思います。

小田実(私は子供のころ、家にあった「何でも見てやろう」を読んだ記憶があります。あと、ベ平連で有名でしたよね)は、まず10年前に体験した阪神淡路大震災の実態を、描いています。まず、政府の無策ぶり・・ゆたかな印象の西宮市ですら、災害対策費は年間予算1525億円のうち、たったの4500万円だったそうです。西ベルリンでは、非常用備蓄が常時3ヶ月分あったのに引き換え、西宮、芦屋、神戸では、ほとんど0!そして、震災の翌日、まだ火災の続く中、都市計画局の職員200人は救出のためでなく、都市計画資料の調査の為に、被災地に向かったのです。震災を(なかなか進まない)都市計画実行の好機と言い放った幹部さえいたとか。そして、2月にはもう計画が出来上がった。被災者はローンの解消もなく、貯金は使い果たし、再開発されたビルには入れないまま、関連死が続出したのです。実に、孤独死(餓死を含む)は250人に達しました。それに対し、当時の社会党の村山首相でさえ、資本主義に公的援助はなじまないと、放置したのです。アメリカはもちろん資本主義ですが、ロサンゼルス地震では、1週間で被災者に最高400万の公的援助がありました。

こんな事、知りませんでした。怒りがこみ上げてきますよね。著者は立ち上がり、緊急要求声明を出しますが、全く政府は動かず相変わらず自助努力を唱え、ますます状況は悪化する中、市民が作った法案を基に市民議員立法を練ってやっとのことで法制化に持ち込んだのです。

又、この時のマスメディアの冷淡さにも触れています。バブルに便乗して儲けを図ったあげく危機に陥った銀行などには、公的援助で救えと大合唱したのに、です。そして、60兆が注ぎ込まれました。震災の救済は500億で済んだのに、何も言わなかったのです。

又、日本国憲法についても書かれています。日本国憲法はアメリカに押し付けられたという言い方がされる事があります。けれど、アメリカも関与したけれども、日本人の戦争はしたくないという気持ちがあってできたのです。日本人は民主主義と平和主義が独自の民主主義を作り出したことに誇りを持っていいのです。アメリカとの関係も、軍事条約である安保ではなく、平和友好条約であるべきなのです。力ずくで解決しようとしない非暴力、平和主義と民主主義、平和主義の両輪でやっていくのだと、結ばれていました。

加藤周一氏は基本的な、平和などの概念について分りやすく述べています。

「平和」とは、戦争のない状態です。戦争とは武器を使った国家間の紛争です。(ブッシュは「テロリズムとの戦争」といいましたが、アルカイダは国家ではありません。)戦争とは殺人です。能率的に殺人する武器を開発した頂点が核兵器です。そしてこの原子爆弾の特徴は無差別に殺戮する点です。昔の戦争は軍人同士のものでしたが、第一次大戦を分岐点に軍民の死傷者の比率は逆転し,むしろ市民が標的になってきました。それが、広島です。ドレスデンでも、ここには軍隊はいなかったにもかかわらず、米英の爆撃機は町を焼き尽くしたそうです。そして、イラクです。米・イラク合同調査団の発表によると、イラクの支社は10万人、アメリカは2005年4月で、1567人です。イラクのアルカイダとの関係も分らず、大量破壊兵器も発見されていません。

20世紀の戦争の特徴づけているのは国家対国家ではなく、国対ゲリラ、テロリスト、レジスタンスなどの戦いです。そして、これらの人は一般市民と見分けがつかないのです。こういう戦争・・ベトナムでもアルジェリアでも目的は達成されず、軍隊が帰る事でしか解決はありませんでした。

武器では国家は安全にならない。武器を持てば、軍備競争が起こり、国家間の緊張が高まり、戦争の勃発の確立が上がります。軍隊を持っていないほうが安全なのです。

平和を望む人は多いのに、実現されない。平和の実現のためには、人々の連帯が必要であるし、一人一人が批判力を養う必要があるし、知ろうとする意志を持つことが大事なのです。

以上、ほんの一部ですが、特に印象に残った事を紹介させていただきました。うまく書けなくてもどかしいのですが。私は平凡な主婦なので、あまり勇気もありません。ただ、平和は何より大事だと思っています。だから、自分にできることがあれば、ほんの少しでしょうがやりたい。そのために、まず、何をするべきなのかを、少しずつ考えて行こうと思いました。

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コメント

中々意義深い本のようですね。
めろんちゃんの感想だけで読んだ気になりそうです。

人の心には「自分さえ良ければ」って思ってしまう所が絶対ありませんか。
そんなことないって言い切れない自分がいます。
国家もそうなんでしょう~

何か、暗い闇の世界に落ちていきそう・・・

投稿: りゅう | 2006年1月 6日 (金) 11時54分

現実を知ると、悲しくなりますね。事が起きて隠されていたことが明るみなると、憤りとともに情けなさも感じます。
強いところの人は、いつも小さく弱い人たちを(人と思っていないかもしれないけど)、犠牲にしながら歴史を作っていくんですね。
人間は忘れる生き物だけど、なるたけ忘れたくないことです。

投稿: まきち | 2006年1月 6日 (金) 12時53分

久しぶりに硬派な内容で、めろんちゃんらしいわ。また能天気な私にカツをいれてくれたわね。
私が一番嫌なのは戦争で市民が巻き添えになることと、一部の人たちが利益を得てることです。
人の命の重さをまったく無視して自分たちの私腹を肥やすことしか考えてない人たちに腹立たしさを感じます。でも私たちはどうしたらいいんだろうね?
いつも私に問題をなげかけてくれてありがとうめろんちゃん。

投稿: ちまき | 2006年1月 6日 (金) 17時02分

☆りゅうさんへ

誰でも自分や家族が一番大事。悲惨な事には目をつぶっていたいですよね。私もそうです。でも、時々、これでいいのかなって思います。自分にできることは何かを考えてみようかな、と。

☆まきちさんへ

現実は醜いことが沢山ありますね。でも、目をつぶっていてはいけないのでしょうね。現実を知って、批判する声をあげなくては、社会は変わらないでしょうから。

☆ちまきさんへ

まさにそれが現代の戦争の特徴になっているようです。お気楽な私でも、怒りを感じる。ささやかな事でも、何かできたらと思うのですが、本当にどうしたらいいんでしょうか?

投稿: めろん | 2006年1月 6日 (金) 23時19分

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