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義母の入院

24日に義母が、激しい腹痛で救急車で入院しました。胆石でした。それ以来、病院にいったり、仕事もあったり、おまけに自分も風邪をひいたり・・散々でした。

義母は、早くに義父を亡くし、女手ひとつで4人の子供を育てた、気丈な人なのですが、最近はめっきり気が弱っていたところに、この病気でした。今日、手術だったのですが、無事に終わり、ほっとしました。一昨日、病院に行ったときは、急に手術の日程が決まって、すっかりおびえてしまって、まるで子供のように、怖がっていました。一緒に行った娘もびびるぐらいに、泣かんばかりにしていたので、とても心配でした。

今日は、手術が終わってほっとしたのか、随分落ち着いて、安心しました。どんなに、しっかりした人でも、病気となると、違うものなんだなぁ、と思いました。でも、子供が4人もいるし、嫁も(私を含めて)2人いるので、交代に行ってあげる事ができましたが、身寄りのない方なんか、どんなにか心細いでしょうね。

そんなわけで、ブログもほったらかしていましたが、覗いてみると、見に来てくださる方が沢山いるので、近況報告です。なるべく、愚痴は書きたくなかったんですが。この次は、楽しいことを書きたいですね。

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二つの記念日

今日は、私がブログを始めてちょうど1年の、記念の日です。よく続いたと、自分でもびっくりです。日々、感じたことや、本や映画の感想など、思いつくままに書いてきましたが、いろいろな方が、読んでくださり、コメントを下さったりしたのは嬉しいことでした。

又、自分でも、いろいろな方のブログに伺って、共感したときはコメントさせてもらったり、面白い情報をもらったりもしました。何度も行ったりきたりしていると、お互いの考え方や生活の一部も垣間見たりして、実生活での友達より良く知っているかも知れませんね。

そして、昨日はブログで知り合った、ちまきさんにお会いしました!初めてのことで、なんだかどきどきしたのですが、お会いするとすぐに打ち解けることができました。ちまきさんは、ほぼ想像通りの、上品で、且つ気さくな方で、前からのお友達のような気持ちがしました。おしゃべりしていると、3時間半はあっという間に過ぎて、彼女は名古屋に帰っていかれました。ヴァーチャルがリアルになったというか、あったことがないのに知っているというか、楽しくて素敵な体験でした。初オフ会の記念日。ちまきさん、ありがとうございました!

ブログを始めた頃は、訪問者の数が少ないと淋しくて、がんばって毎日更新した時期もありましたが、(まめに更新すると、来てくださる方が確実に増えるのはどうしてでしょう?)だんだん、重荷になってきたので、最近は書きたいことと、時間があるときに、と、なってきました。まぁ、細く長く続けようかな、と。これからもよろしくお願いします。

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いまさらですが・・・

いまさらですが、ちょっと連休中の事を書きます。(他に思いつかない・・)

5月の3.4.5日は、娘が家族のために空けておいてくれたそうで、4人で過ごしました。宿が取れなかったので、(高いしね)日帰りで。

3日は、バーベキューに行こうと思ったら、少し寒そうだったので、福生のほうへハイキングというか、まぁ、お散歩ですね。途中から日が出てきて、何だ、バーベキュー行けばよかったと、汗をかきながら思った。夕食は五日市の「黒茶屋」で、山菜や焼き物などを食べました。川や緑に囲まれた、雰囲気のよいところです。

4日、張り切ってバーベキューへ。途中で、食材や炭など買いこんで、青梅の川原にやっと着いたら、すごい人出で車が止められない。仕方ないので、今度は五日市の河川敷公園へ。ここも、人、人、人。でも何とか入れて、火をおこそうとしたのですが・・・ちっとも火がつかない。去年は初めて備長炭を使ってみたら、すごく焼け具合が良かったので、今年も備長炭を買って行ったのですが、どうしてもつかない。箱の説明を読んでみると、非常に火がつきにくいのでまず木炭で火をおこしてから、炭をくべると書いてあるではないですか。去年の備長炭は火が付きやすい加工がしてあったんでしょうね。車の中に木炭もあったので、又やり直し。でもこの木炭が湿気ているらしくうまくいかない。日が照って暑いし、お腹はすくし、いらいらしてきた。それに、ここは4時には帰らなくてはいけないし。やっと何とか木炭に火がついたのはもう、3時半くらい。ギブアップです。でも、夫の粘り強さと、子供たちのこの状況を大笑いしているのには、少し尊敬してしまった。すきっ腹を抱えて、以前行った石川酒造がやっているフレンチ・イタリアンの店に行って食事しました。ここはビールも造っていて、グレープフルーツ風味のビールが以外においしかったです。帰ってむなしく、食材を使って家で鉄板焼きをしました。もったいないしね。

5日、御岳山に行こうと言っていたけど、何か疲れてしまってみんなで寝坊してしまった。それで、夕方から、娘の提案で、「ナルニア国物語」を観に行きました。ファンタジーですね。娘は映画はあまり好きじゃないんですが、こういうのはいいらしい。「ジュマンジ」とかも好き。あれは私も面白かったですけど。

そんなわけで、今一の感があったけれど、家族で過ごせてよかったかな。でも、外食ばかりしていたつけは、しっかりと体重に・・・ダイエットしなくっちゃ。

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メキシコ料理・「優しい音楽」

今日は連休4日目、かな、世間的には。でも、夫は仕事でした。夕方から、自分の部屋に小さなテーブルが買いたいという娘と、気の進まなさそうな息子を無理やり連れて、吉祥寺に行きました。まず、全く服装に気を使わない息子に半ば強制的に服を買わせ、娘は下見をして決めていたテーブルを購入、そしてメキシコ料理のお店に行きました。先日メキシコに行ってから、すっかりメキシコファンになった息子は大喜び。定番のタコスやアボガドのサラダ、メキシカンライスなどを食べ、テキーラベースのマルガリータなども飲みました。おいしかった!息子は本場はもっと辛いよ、などと言っていましたが満足した様子。それにしても、この3人で出かけたのは久しぶりでした。何しろ、25歳の娘と22歳の息子ですから。連休中には4人で出かけようと思っています。どこに行こうかな。

1週間ほど前ですが、瀬尾まいこの「優しい音楽」を読みました。3篇の作品集ですが、どれも、暖かい雰囲気のお話で、その名の通り優しい気持ちになれたかな。

表題作は、さしてもてる訳でもない僕に、とても可愛い女の子、千波ちゃんが突然接近してくる。訳が分からず、でも、彼女が好きになってしまった僕は彼女と付き合う事に成功して、二人は恋人同士に。でも、初めて彼女の家に行った僕は彼女が接近してきた理由が分かって戸惑うけれど、徐々に彼女の家族の一員のような気持ちになって・・

次は不倫相手の男の子供を預かる羽目になってしまった女性と、その女の子に芽生えた心のふれあい・・ そして、最後は、同棲中の彼女が拾って(?)来たのは何とホームレスになりたての、元大学の先生。奇妙な3人で迎えるお正月。でも、人のいい彼は追い出すこともできず、思いがけない心の交流が生まれる、不思議なお話。

皆、ちょっとありえないけれど、あったら楽しいと思わせるお話でした。世知辛い世の中だから、こんな小説で心を和ませるのも良いな、と思いました。

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アルナの子供たち

_015 連休の初日、29日に「アルナの子供たち」を見に行きました。29日と30日だけの、しかも1日一回だけの上映で夜の9時からでした。下北沢の小さな映画館で。下北沢は高校の頃よく行ったけれどすごく久しぶりでした。お店がいっぱいあって、若者であふれていましたね。昔の面影はありませんでした。先日の朝日新聞で、アルナの事が紹介されていて、息子にも見せたら、この映画の上映を見つけて、それじゃあ行こうと言う事になって、夫と3人で見に行きました。

イスラエルの平和運動家、アルナ・メールは、パレスチナのジェニンの難民キャンプで、子供たちの支援活動を始め、和平の機運が高まった頃、スェーデンの議会から「もうひとつのノーベル賞」を受賞し、賞金を元にキャンプに子供劇団を作りました。絶望と暴力が渦巻くキャンプの中で、子供たちに演劇や絵画を通して自由と夢、人としての権利を教えるために。

しかし、再びイスラエルによる侵攻が激しくなり、アルナも死去し、運動も頓挫してしまう。ジェニンで大侵攻があり、激しい戦闘があったあと、アルナの息子で演劇を教えていたジュリアノは、劇団の子供たちのその後を尋ねてジェニンに入ります。

そこには信じられない悲惨な事実が・・若者になった子供たちのほとんどが、抵抗運動のリーダーとなって殺されたり、自殺攻撃によって自らの命を絶っていたのです。彼らに夢と自立を与えるための教育が、強い誇りを与え、情況に追い詰められて、戦いに追いやる結果になってしまったのです。

この映画はドキュメントで、彼らが子供の時代の無邪気で明るい様子が何度も出てきます。最初はイスラエル人であるアルナに疑いを持つけれど、すっかりアルナが好きになった子供たち。アルナが母以上だといった、オマー・シャリフのような俳優になりたいと言う夢を語っていた子供は銃の乱射という自殺攻撃で死んでいった。その子供たちの映像が実際のものであるという事実が、限りなく重いものでした。彼らもパレスチナに生まれなければ、まだその笑顔のまま、夢を追っていたでしょうに。

この映画は最初は、当然イスラエルでは受け入れられなかったのですが、最近上映されるようになったらしいのですが、映画を見たあとのあるイスラエル人の女子学生の言葉が監督に衝撃を与えました。「パレスチナにも夢を持って笑っている、愛らしい子供たちがいるなんて、想像もできなかった。」という言葉です。政治によって、人々の心が閉ざされ、敵が人間であることにも思いが至らない状況がわかります。

大変重い映画でした。子供たちの笑顔がまぶたに焼き付いて、離れませんでした。平和な日本で暮らしている私たちも、世界の中にこのような悲劇が今もあることを知らなければならないと思いました。

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