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「悼む人」

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天童荒太著「悼む人」を読みました。

知ることができた死者を、どのような死であったかを問わずに、彼独自の方法で悼む旅を続ける静人。彼を愛し、家庭に戻ることを願う家族・・彼の母は末期のがんを患っている。数奇な運命で夫を殺した女は、出所して引き寄せられるようにして戻った現場で、彼に出会う。そして、人の心を信じることができず、興味本位の記事を書くことを生業とした雑誌記者も、偶然静人に出会い、馬鹿にしながらも心惹かれる。

なぜ、彼はこのような事をしているのか?こんな事をして意味があるのか?本の中の人々と同じように私もこの思いにとらわれました。自分は病気なのです、と言う彼も、自分のしている事をうまく説明できないのです。彼の子供のころの出来事や親友の死が背中を押しているのは事実なのでしょうが、彼は、理由よりもそうしないではいられないとしか言いようがありません。

読んでいる時も、何か不安な気持ちや違和感をぬぐえませんでした。でも、読み進めているうちに、少しずつ彼の姿がイメージされ、気持が寄り添うような気がしてきました。

雑誌記者が、自分の死に瀕して、心底静人を求める気持ちになったところで、腑に落ちた感じがして、涙が出ました。

普段、私たちは死のことを考えないようにして生きていますよね。いずれ死ぬのは自明のことなのに、いつ死ぬのかも分からないのに、自分の死に備えようともしないで。そして、他人の死も、どんなに悲しくても記憶は薄れていきます。そうしなければ、生きていけないでしょう。

これを読んで、私は子供のころを思い出しました。小学生だったと思いますが、テレビのニュースで、交通事故で人が亡くなったことを知り、ふと、人が死んだのに何も感じない自分はひどい人間ではないだろうかと思ったのをはっきり覚えています。でも、すべての死を心から悲しんでいたら、生きていけないと、子供なりに解決をつけたんだったように思います。

ありえないけれど、静人のような人がいたら、気が休まるのではないかと思いました。けれど、死とは何なのか、当たり前ですが、やはり分からないままです。それは自分で考えなさいと作者は言っているのでしょう。

少し前に、「送り人」も読みました。映画で話題になった、納棺師の物語です。このなかでの、「納棺」という儀式も、ある意味、人を悼む行為でした。そして、この二つの本は、人の死は個々ですべて違うということを提示しているとも思いました。同じ生がないように、同じ死もないし、それはどんな人生を送った人でも悼まれるべきものなのかも知れません。はっきり言い切ることができないのですが・・・

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